藤松古戦場跡

1866年田野浦、だいりでの戦いに敗北した小倉藩を中心とした幕府軍と御所神社付近に本営を置いた長州軍が、 7月27・28日新町から延命寺にかけた一帯で激しい戦いをおこなった。 藤松は隊長だった小倉藩家老・島村志津摩と中野一角の名に因み志津摩橋、中野橋がある。 その後幕府軍は敗走を続け、自ら小倉城を焼き田川方面へ撤退した。 場所:藤松一帯 藤松公団前バス停下車。 現在は、面影すらありません。言われてもわかりません。 掲載写真は、村中川と書かれている看板のある橋を掲載。

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